一生に一度は訪れたい世界の美しい街並み
Best  Selection 50
   

「車で世界を旅してみたら」の編集部が、選りすぐった街並みをランキング形式でご紹介します。この本は、車での旅の魅力をテーマにしていますが、その真の目的は世界中の美しい街並みとの出会いです。
 
時を超えたリアル中世ファンタジーとも表現される世界の名所や、まだあまり知られていないおとぎ話のような街角を含め、一生に一度は訪れたい世界最美の街並みをテーマにしています。今回は「車で世界を旅してみたら」の番外編として、(本編以外の筆者が訪問した街並みも多く掲載しています。)これらを幅広く紹介します。
 
ヨーロッパの街並みが中心となっていますが、今後定期的に内容の変更を予定しています。
 
当ホームページの写真は、承認を得た場合または、「車で世界を旅してみたら  Kindle版」購入者に限り使用できます。お問合せ先:医療福祉支援推進協会 info@npo.iryosien.jp

 
 Kindle版(電子版)
 
 Kindle版(電子版)¥460
 
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タイトルをクリックしてください。(紹介文)

スミュール・アン・オーソワは、フランスのブルゴーニュ地方に位置する、中世の魅力あふれる小さな村です。

美しい石造りの家々や狭い路地が織りなす風景は、まるで絵本の世界のようです。村の中心にそびえるノートルダム教会は、ゴシック様式の美しい建築で、訪れる人々を魅了します。

この村の歴史は3世紀に遡り、中世には要塞都市として栄えました。14世紀にはフランス王シャルル7世が訪れたこともあります。驚くべきことに、村の城壁は当時のままの姿を保っており、訪れる人々に中世の雰囲気を伝えています。

スミュール・アン・オーソワは、映画「マリー・アントワネット」のロケ地の一つとしても知られています。この映画は、18世紀のフランス宮廷を描いており、村の美しい風景が映画の中で重要な役割を果たしています。

この村は、リラックスした雰囲気と歴史的な魅力を兼ね備えており、訪れる人々にとって忘れられない体験を提供します。中世の街並みを散策し、歴史に思いを馳せるひとときを過ごしてみてください。

スミュール・アン・オーソワは、その美しさと歴史的な価値で、多くの人々に愛されています。


エズは、フランスのコート・ダジュールに位置する中世の美しい村で、その壮大な景観から「鷲の巣村」とも呼ばれています。
 
地中海を見下ろす高台にあり、迷路のような狭い石畳の通りと美しい石造りの家々が特徴です。エズの歴史は古代ローマ時代に遡り、その後、中世には要塞として重要な役割を果たしました。

エズは、その戦略的な位置から多くの戦いの舞台となりました。特に、ニースとの争いが知られています。エズは中世において、しばしばニースの支配者と対立し、その結果として何度も攻撃を受けました。エズ城の遺跡は、このような歴史的背景を物語る証拠の一つです。1574年には、エズはフランス王アンリ三世によって征服され、その後フランス領となりました。

エズの魅力は、その歴史と美しい風景にあり、訪れる人々に忘れられない体験を提供します。特に、エズ城の遺跡からの眺めは圧巻で、地中海の輝く青い海と空が一望できます。エズは、その独特な魅力で多くの人々に愛され続けています。
 


ロヴィニは、クロアチアのアドリア海沿岸に位置する美しい港町で、絵画のようなカラフルな家々が密集する旧市街が特徴です。

その歴史は古代ローマ時代に遡り、当時は「アリュリア」と呼ばれていました。ロヴィニは、その後、ヴェネツィア共和国の支配下に入り、13世紀から18世紀にかけて重要な港町として繁栄しました。

この時期、ロヴィニはヴェネツィアとジェノヴァの間で繰り広げられた紛争の舞台となりました。特に14世紀の戦争では、ジェノヴァがロヴィニを占領するも、最終的にはヴェネツィアが再び支配権を取り戻しました。ヴェネツィアの影響下で、ロヴィニは経済的にも文化的にも発展し、その影響は現在の建築や文化に色濃く残っています。

1797年、ナポレオン戦争の結果としてヴェネツィア共和国が崩壊すると、ロヴィニはオーストリア帝国の支配下に入りました。第一次世界大戦後、ロヴィニはイタリアの一部となり、第二次世界大戦後にはユーゴスラビアに編入されました。1991年のクロアチア独立と共に、ロヴィニは現在のクロアチアの一部になっています。

ロヴィニはもともと島であり、1763年に本土と繋がれました。街の象徴である聖エウフェミア教会は、ロヴィニのランドマークであり、その鐘楼からの眺めは圧巻です。ロヴィニはその豊かな歴史と美しい風景で訪れる人々を魅了し続けています。
 


ヘントは、ベルギーのフランデレン地方に位置する中世の魅力あふれる美しい都市です。古代ローマ時代に「ガンダウム」として知られ、中世には繊維産業の中心地として栄えました。

ヘントの歴史は、紛争や宗教改革など激動の時代を経験しました。1302年にはフランドル軍がフランス軍を打ち破った「金拍車の戦い」で自治権を強化し、その後ブルゴーニュ公国の支配下でさらなる繁栄を迎えました。16世紀には宗教改革と八十年戦争の影響を受け、スペインの支配下に入りましたが、最終的にはベルギー独立を経て、現在の姿へと発展しました。

ヘントの魅力のひとつは、美しい景観です。市内には運河が張り巡らされており、ボートツアーで街の風景を楽しむことができます。旧市街には中世の建物が立ち並び、特に聖バーフ大聖堂は必見です。大聖堂内にある「神秘の仔羊」祭壇画は、ヤン・ファン・エイクとその兄によって描かれたもので、美術史において非常に重要な作品です。

また、ヘントの中心部にそびえるヘント城(Gravensteen)は、12世紀に建てられた要塞で、見応えがあります。城の頂上からは市内の美しい景色を一望できます。

芸術と文化の都市としても知られるヘントは、毎年夏に開催される「ヘント・フェスティバル」で多くの観光客を魅了しています。このフェスティバルは、音楽、演劇、アートが融合した大規模なイベントで、街全体が賑わいを見せます。

スポーツも盛んで、KAAヘントというサッカークラブがあり、地元の人々に愛されています。ヘントはその豊かな歴史と文化、そして美しい景観で訪れる人々を魅了する、魅力あふれる都市です。


アルベロベッロは、イタリア南部プーリア州に位置する美しい村で、その特徴的な「トゥルッリ」という円錐形の屋根を持つ石造りの建物で有名です。
 
このトゥルッリは、白い石灰岩を積み上げて作られ、独特な風景を作り出しています。トゥルッリは14世紀に始まり、17世紀にはその数が増えました。

アルベロベッロの歴史は、中世にアクアヴィーヴァ家がこの地を支配していた頃に遡ります。アクアヴィーヴァ家の領主たちは、農民に対して税金を避けるためにトゥルッリを建てさせました。
 
税金は固定された建物に課せられたため、容易に解体可能なトゥルッリは理想的な解決策となりました。これにより、村全体がトゥルッリで構成される独特な景観が生まれました。
 
18世紀には、アルベロベッロはナポリ王国の一部となり、1797年にナポレオン軍がこの地を占領しましたが、その後再びナポリ王国の支配下に戻りました。20世紀初頭には、農業と観光業の発展により、再び繁栄の時代を迎えました。
 
アルベロベッロの見どころは、何と言ってもトゥルッリ地区です。特に「モンティ地区」と「アイア・ピッコラ地区」は、トゥルッリが密集しており、その美しさと独特さで観光客を魅了します。また、聖アントニオ教会もトゥルッリの形をしており、その珍しさから多くの訪問者を引き寄せます。
 
トゥルッリには面白い逸話もあります。昔、トゥルッリの屋根には魔除けのために奇妙なシンボルが描かれていました。これらのシンボルは、太陽や月、星などの天体や、動物、植物などを模しており、村人たちはこれらのシンボルに特別な意味や力があると信じていました。
 
例えば、太陽や月のシンボルは光と闇のバランスを表し、幸運をもたらすとされていました。その他にも、交差する線や奇妙な図形など、様々なシンボルが存在し、それぞれが特定の目的を持って描かれていました。
 
アルベロベッロは、そのユニークな建築様式と豊かな歴史背景を持つ、美しい村です。この地を訪れることで、イタリアの歴史や文化に触れるとともに、他にはない景観を楽しむことができます。


ヴァーラーナシーは、インドのウッタル・プラデーシュ州に位置する、ヒンドゥー教の聖地として知られる古代都市です。
 
この街は約3000年の歴史を持ち、インド最古の都市の一つとされています。ガンジス川のほとりに位置し、その川沿いには多くのガート(石段)が連なっています。
 
ガンジス川はヒンドゥー教において極めて神聖な存在であり、その理由は多岐にわたります。ヒンドゥー教徒にとってガンジス川の水は浄化の象徴であり、沐浴することで罪を洗い流し、魂を清めると信じられています。そのため、毎朝多くの信者が川に浸かり、祈りを捧げる姿が見られます。
 
ヴァーラーナシーはまた、ヒンドゥー教徒にとって人生の終わりを迎える理想的な場所ともされています。ここで亡くなることは、輪廻転生から解脱し、ムクティ(解放)を得ると信じられているため、多くの人々がこの地で最期を迎えたいと願っています。

川沿いには火葬場もあり、24時間絶えず火葬が行われています。これもまた、魂の浄化と解脱を目的とした重要な儀式の一部です。
 
ヴァーラーナシーは、ヒンドゥー教だけでなく、仏教とも深い関わりがあります。釈迦(ゴータマ・シッダールタ)が初めて説法を行った地、サールナートがヴァーラーナシーの近くに位置しています。ここで釈迦は「四諦」を説き、仏教の教えを広め始めました。
 
この歴史的な出来事は、ヴァーラーナシーが仏教においても重要な場所であることを示しています。
 
ヴァーラーナシーは、その深い歴史と文化、そして宗教的な重要性により、訪れる者に強烈な印象を与える都市です。訪問者はガンジス川の畔での儀式や古代の寺院を通じて、インドの精神的な側面を体感することができます。


ハルシュタットは、オーストリアのザルツカンマーグート地方に位置する美しい湖畔の町で、その絶景と歴史的な価値から「世界で最も美しい村」とも称されています。

ユネスコの世界遺産にも登録されており、絵のように美しい景観が訪れる人々を魅了します。ハルシュタットの魅力は、その風光明媚な景観にあります。透き通るようなハルシュタット湖と、湖を囲むアルプス山脈が織り成す風景は、まるで絵画のようです。

特に、湖に映る町の反射は絶景で、多くの観光客が訪れる理由の一つです。町は、狭い通りと中世の建物で構成されており、その歴史的な雰囲気を感じることができます。
 
この町の歴史は非常に古く、紀元前8世紀にまで遡ります。ハルシュタットは、塩の産地として繁栄してきました。塩鉱山は現在も稼働しており、観光客は塩鉱山のツアーに参加して、古代から続く塩の採掘の歴史を学ぶことができます。町には塩の博物館もあり、ハルシュタットの塩の歴史を詳しく知ることができます。
 
また、ハルシュタットは映画やテレビドラマのロケ地としても有名です。韓国ドラマ「春のワルツ」のロケ地としても知られていますし、ディズニー映画「アナと雪の女王2」のアレンデール王国のモデルの一つとも言われています。この町の美しい景観は、多くの映画製作者や観光客を魅了しています。
 
ハルシュタットは、その美しい景観と豊かな歴史、そして映画やテレビドラマとの繋がりにより、訪れる人々に強い印象を与える町です。訪問者は、アルプス山脈と湖の絶景を楽しみながら、古代から続く塩の歴史と文化に触れることができます。この特別な場所を訪れることで、オーストリアの自然と歴史の素晴らしさを体験することができるでしょう。
 


コンスエグラは、スペインのカスティーリャ・ラ・マンチャ地方に位置する小さな町で、特にドン・キホーテが風車と戦うエピソードで有名です。

山の連なる風車は、まるで巨人のように見えるため、ドン・キホーテはこれらをドラゴンと勘違いして戦いを挑みました。この物語はミゲル・デ・セルバンテスの名作「ドン・キホーテ」の一部であり、世界中の読者を魅了しています。

コンスエグラには12基の風車があり、その風景は非常に美しく、観光客に人気のスポットです。これらの風車は16世紀から17世紀にかけて建てられ、小麦を挽くために使われました。

風車の美しいデザインとその歴史的な背景から、訪れる人々にとって魅力的な観光地となっています。風車の名前には、「クレイソ」、「カバージョ」、「サンチョ」など、ドン・キホーテの物語にちなんだ名前が付けられています。

コンスエグラの風車が建てられた理由は、風力を利用して小麦を粉にするためでした。この地域は風が強く、風車が効率的に動く環境が整っていました。風車は農業において重要な役割を果たし、特に小麦の粉を作るために不可欠でした。周囲の畑では、主に小麦が栽培されており、これが地元の主要な農産物となっています。

文化的な背景として、コンスエグラはスペインの伝統的な農業文化と密接に結びついています。毎年8月には、「ロス・モリノス(風車祭り)」が開催され、風車の歴史と伝統を祝います。この祭りでは、風車の見学や地元の伝統料理を楽しむことができます。

ドン・キホーテのファンにとって、コンスエグラは訪れる価値のある場所です。風車の見学や城の探索を通じて、物語の世界に浸ることができます。

ドン・キホーテの魅力は、その冒険心と想像力にあり、彼の物語は勇気と夢の大切さを教えてくれます。コンスエグラの風車を背景に、ドン・キホーテの世界を体感してみてください。


フィレンツェは「花の都」と称され、その美しさと豊かな文化遺産で知られています。イタリアのトスカーナ地方に位置し、ルネサンスの発祥地として世界的に有名です。アルノ川沿いに広がるこの街は、壮麗な建築物と芸術作品で訪れる人々を魅了します。
 
フィレンツェの中心には、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオーモ)があり、その巨大な赤いドームは街の象徴です。特にドゥオーモの正面に位置するジョットの鐘楼からの景色は圧巻で、街全体を一望できる絶景スポットです。ここから見るドゥオーモのドームはまさに息をのむ美しさです。
 
フィレンツェの歴史は古代ローマ時代に遡り、中世にはメディチ家の庇護のもと、文化と経済の中心地として発展しました。メディチ家は、フィレンツェをルネサンス文化の中心地とし、多くの芸術家や学者を支援しました。この時期にレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ボッティチェリなどの偉大な芸術家がフィレンツェで活躍し、多くの名作を残しました。彼らがフィレンツェで活動したのは、メディチ家のパトロンとしての支援が大きな理由です。
 
街には多くの歴史的建造物や美術館があり、ウフィツィ美術館やアカデミア美術館は必見です。ウフィツィ美術館には、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」やレオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」など、世界的に有名な作品が収蔵されています。アカデミア美術館には、ミケランジェロの「ダヴィデ像」が展示されており、その壮大な彫刻を間近で見ることができます。ダヴィデ像の近くからの景色も有名で、多くの観光客がその景観を楽しんでいます。
 
フィレンツェは美食の街としても知られています。ここにはイタリアで最も古いカフェの一つ、「カフェ・ジッリ」があり、1733年から続く歴史を持っています。また、フィレンツェでは伝統的なトスカーナ料理を楽しむことができ、特にリボッリータ(パンと野菜のスープ)やビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ(フィレンツェ風ステーキ)が有名です。さらに、フィレンツェのサン・ロレンツォ市場では、新鮮な地元の食材や特産品を購入でき、フィレンツェ料理の魅力を存分に堪能できます。
 
フィレンツェは、その美しい景観と豊かな文化遺産、そしてルネサンスの輝かしい歴史を持つ都市です。訪れる人々にとって、フィレンツェは忘れられない体験を提供する場所となるでしょう。


ポジターノは、イタリアのアマルフィ海岸に位置する、美しいリゾート地です。カラフルな家々が急斜面に立ち並び、地中海を見下ろす絶景が広がるこの場所は、まるで絵画のようです。ポジターノとアマルフィは、どちらもアマルフィ海岸の魅力的な観光地ですが、異なる特徴を持っています。
 
ポジターノは、その美しい景観とリゾート地としての魅力で知られています。観光客は、狭い階段や路地を散策しながら、洗練されたブティックやカフェを楽しむことができます。一方、アマルフィは、より庶民的な活気と歴史的な背景を持つ街です。中世にはアマルフィ海洋共和国として繁栄し、その影響は今でも街の建築や文化に残っています。
 
多くの日本人がアマルフィをおしゃれな場所とイメージするのは、映画「アマルフィ 女神の報酬」で天海祐希が主演したことで広く知られるようになったからです。
この映画は、アマルフィの美しい風景を背景に展開され、多くの観光客を引き寄せました。
 
また、アマルフィ海岸全体がユネスコの世界遺産に登録されていることも、その魅力を高めています。アマルフィ海岸がユネスコの世界遺産に登録された理由は、その自然美と文化的な重要性にあります。アマルフィ海岸は、険しい崖と美しい海岸線が織り成す壮大な景観を持ち、多くの人々を魅了しています。
 
また、中世にはアマルフィ海洋共和国として、地中海の貿易と文化交流の中心地として栄えました。これにより、アマルフィ海岸には歴史的な建造物や文化遺産が数多く残されています。
 
ポジターノの家々が急斜面に建てられた理由の一つは、海賊や外敵からの攻撃を防ぐためです。中世には、地中海沿岸地域は海賊の脅威にさらされており、ポジターノもその例外ではありませんでした。家々を高台に建てることで、海からの侵入を防ぎ、住民を守ることができました。この戦略的な配置が、現在の美しい景観を作り出しています。
 
ポジターノの特産品としては、レモンが有名です。レモンを使ったリモンチェッロというリキュールは特に人気があります。また、ポジターノの料理には、新鮮なシーフードを使ったパスタやリゾットがあります。例えば、「スパゲッティ・アッレ・ヴォンゴレ」(あさりのスパゲッティ)は、この地域でよく知られた料理です。
 
ポジターノは、その美しい景観とリゾート地としての魅力で訪れる人々を魅了し続けています。急斜面に立ち並ぶカラフルな家々と地中海の絶景を楽しみながら、洗練されたリゾートライフを体験することができます。
 
一方、アマルフィは、その歴史と庶民的な活気を感じられる場所として、多くの観光客に愛されています。この二つの町は、それぞれ異なる魅力を持ち、訪れる人々に忘れられない体験を提供します。


ローテンブルク・オプ・デア・タウバーは、ドイツのバイエルン州にある中世の美しい街です。
 
石畳の道や木組みの家々が広がるこの場所は、おしゃれでおとぎの国のような雰囲気が漂い、世界中から愛されています。
 
13世紀に築かれた城壁と塔が今も残り、その歴史を物語っています。実は、ローテンブルクは第二次世界大戦中にほとんど破壊を免れ、元の姿を保っています。
 
映画監督ウォルト・ディズニーもこの地を訪れ、「ピノキオ」のインスピレーションを得たと言われています。


マテーラは、イタリアのバジリカータ州に位置する洞窟住居が特徴的な街です。
「サッシ」と呼ばれる石灰岩の洞窟住居群はユネスコの世界遺産に登録されています。
 
今や廃墟のような街ですが、まるでRPGの冒険者になったようなワクワクする街並みです。街の中心にある大きな岩の頂上に刺さる十字架、景観は、まさにリアルファンタジーと言えるでしょう。
 
マテーラの歴史は古代ローマ時代に遡り、長い間住居として使われてきました。
これらの洞窟は現在も改装され、ホテルやレストランとして利用されています。
 
歴代25本目となる「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」がマテーラで撮影されたのは2019年の夏。
映画監督メル・ギブソンが「パッション」の撮影地として選んだことでも知られています。


フリヒリアナは、スペインのアンダルシア地方に位置する白い家々が美しい山間の村です。アラブ風の狭い路地やカラフルな花が彩る街並みが魅力です。
 
フリヒリアナの歴史はムーア人時代に遡り、その影響が今も感じられます。特筆すべきは、毎年8月に開催される「三つの文化フェスティバル」で、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の文化が祝われます。
 
作家アーネスト・ヘミングウェイもこの地を訪れ、その風景に心を奪われたと言われています。


チェファルは、シチリア島北部の美しい海辺の街です。中世の大聖堂やカラフルな漁師の家々が特徴で、絵のような風景が広がります。
 
チェファルの歴史は古代ギリシャ時代に遡り、その後ノルマン人によって大聖堂が建てられました。チェファルの大聖堂のモザイクは1000年以上の歴史を持ち、見事な保存状態を誇ります。
 
チェファルは、1989年に公開され、アカデミー賞外国語映画賞を受賞したイタリア映画、ニュー・シネマ・パラダイス(Nuovo cinema Paradiso)のロケ地の一つ。


ブリュッセルは、ベルギーの首都であり、ヨーロッパの政治と文化の中心地です。美しいゴシック建築とアールヌーボー様式の建物が調和する街並みが魅力です。
 
また、EUの本部はこの地にありヨーロッパの中心とも言える都市です。
 
グランプラスはユネスコの世界遺産に登録され、その壮麗な広場は観光客に人気です。
 
ブリュッセルの歴史は中世に遡り、商業と文化の中心地として発展しました。
ブリュッセルにはビールの種類が800種類以上あり、ビール好きにはたまらない場所です。
 
漫画家エルジェがこの地で「タンタンの冒険」のインスピレーションを得ました。


コルマールは、フランスのアルザス地方に位置する絵本のように美しい街です。

コルマールはディズニーの『美女と野獣』の舞台として有名で、宮崎駿監督の『ハウルの動く城』のモデルとなったとされる「プフィスタの家」があります。ディズニーやジブリ作品が好きな方なら、訪れたい街ナンバーワンと言ってもいいでしょう。

カラフルな木組みの家々や花々が咲き誇る運河沿いの風景が魅力です。中世からルネサンス期にかけての建築物が残り、特にプティット・ヴニーズ(小ヴェニス)は観光名所です。
 
コルマールはアメリカの自由の女神像の設計者、フレデリック・オーギュスト・バルトルディの生誕地でもあります。


ニースは、フランスのコート・ダジュールに位置するリゾート都市で、その美しいビーチと地中海の青い海が特徴です。

ニースは、マイケル・ジャクソンが晩年を過ごした場所として知られています。五つ星ホテルのネグレスコホテルは、マイケル・ジャクソンをはじめ、グレース・ケリー、ビートルズ、サルヴァドール・ダリなど多くの有名人に愛されました。
 
また、ロバート・デ・ニーロとジャン・レノがカーチェイスの撮影を行った映画『RONIN』のロケ地でもあります。


プロムナード・デ・ザングレは、海沿いの散歩道として有名です。ニースは古代ローマ時代に遡る歴史を持ち、19世紀にはヨーロッパの貴族たちの避暑地として栄えました。


ジェノヴァは、イタリアのリグーリア海沿岸に位置する歴史的な港町です。旧市街には美しい中世の建物や狭い路地が広がり、その景観は圧巻です。

ジェノヴァは中世からルネサンス期にかけて商業と航海の中心地として栄えました。
 
ジェノヴァはアメリカ大陸を発見したクリストファー・コロンブスの出生地として有名ですが、日本人にとっては『母をたずねて三千里』の主人公マルコが旅立った港町としての方が身近に感じられるかもしれません。


トレドは、スペインのカスティーリャ=ラ・マンチャ地方に位置する歴史と文化の宝庫です。
石畳の道と中世の建築物が広がる旧市街は、ユネスコの世界遺産に登録されています。
 
トレドは中世に宗教と学問の中心地として栄え、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の文化が融合した街です。特筆すべきは、トレドの大聖堂で、スペインのゴシック建築の最高傑作とされています。
 
画家エル・グレコがこの地に住み、その作品が多く残されています。


ピランは、スロベニアのアドリア海沿岸に位置する美しい港町です。中世の建築と狭い路地が広がる旧市街は、イタリアのヴェネツィア共和国の影響を受けています。
 
アドリア海の碧い海とオレンンジ屋根の街並みは、ジブリ映画「紅の豚」や「魔女の宅急便」の1シーンを感じさせてくれます。
 
また、ピランは、塩田が豊かで、塩の生産で繁栄しました。ピランの塩は高品質で知られ、現在も伝統的な方法で生産されています。
 
ピランは、バロック音楽の作曲家ジュゼッペ・タルティーニの生誕地であり、彼の名前を冠した広場が街の中心にあります。


チューリッヒは、スイスの金融と文化の中心地で、美しい湖とアルプスの山々に囲まれています。歴史ある旧市街や現代的な建築が調和し、多彩な文化施設が魅力です。
 
ローマ帝国時代に遡る歴史を持ち、中世には重要な貿易拠点として発展しました。
 
チューリッヒは世界で最も高い生活水準を誇る都市の一つです。
物理学者アルベルト・アインシュタインもこの地で大学教授として働いていました。


チェスキー・クルムロフは、チェコの南ボヘミア地方に位置する中世の美しい街です。
ヴルタヴァ川に囲まれた旧市街は、ユネスコの世界遺産に登録されています。
 
世界で一番美しい街としてインターネットで1位上に選ばれるほどの美街。
 
13世紀に築かれたクルムロフ城は街のシンボルで、華やかなバロック様式の庭園が広がります。驚くべきことに、クルムロフ城の劇場は18世紀のままの姿で保存されており、今も公演が行われています。
 
画家エゴン・シーレがこの地で多くの作品を描きました。


ポルトヴェーネレは、イタリアのリグーリア海沿岸に位置する風光明媚な港町です。
カラフルな家々が立ち並ぶ海辺の風景と中世の要塞が特徴です。
 
街の歴史はローマ時代に遡り、その後ジェノヴァ共和国の一部として繁栄しました。
 
ポルトヴェーネレはユネスコの世界遺産「チンクエ・テッレ」と共に登録されており、その自然美と歴史的価値が認められています。詩人バイロンがこの地を訪れ、その美しさに感銘を受けたと言われています。


チヴィタ・ディ・バーニョレージョは、イタリアのラツィオ州に位置する、崩れかけた岩の上に建つ魅惑的な街です。
 
「死にゆく街」とも呼ばれ、その美しい風景は訪れる人々を魅了します。街の歴史はエトルリア時代に遡り、中世には重要な宗教拠点として栄えました。
 
イタリアの秘境と言っても過言ではなく、まだ日本人には知名度が低いですが、この景観は唯一無二です。ローマに行った際には少し足を伸ばして、1日をチヴィタで過ごすのもいいでしょう
 
チヴィタは現在でも車の乗り入れが禁止されており、徒歩でしかアクセスできません。
 
哲学者サン・ボナヴェントゥーラがこの地で生まれ、その遺産が残されています。


ストラスブールは、フランスのアルザス地方に位置し、ヨーロッパの政治と文化の中心地です。美しいゴシック様式のストラスブール大聖堂や、中世の木組みの家が立ち並ぶ旧市街が魅力です。
 
ストラスブールは、古代ローマ時代から重要な交易都市として発展しました。
 
ストラスブールにはフランスとドイツの文化が融合しており、二つの国の影響が色濃く残っています。作曲家ジョルジュ・ビゼーがこの地で「カルメン」を作曲したと言われています。


ジャンヌ・ダルクゆかりの地
 
オレルアンは、フランスのロワール川沿いに位置する歴史と文化の豊かな街です。ゴシック様式の大聖堂や美しい中世の建物が立ち並び、その魅力は尽きません。
 
オレルアンは、ジャンヌ・ダルクが1429年にイングランド軍から解放したことで有名です。
 
オレルアンでは毎年5月にジャンヌ・ダルクを讃えるフェスティバルが開催され、多くの観光客が訪れます。
 
詩人シャルル・ペローもこの地で生まれ、数多くの童話を生み出しました。
 
シャルル・ペロー代表作
「眠りの森の美女」「赤頭巾ちゃん」「青ひげ」「長靴をはいた猫」「サンドリヨン(ガラスの靴)」「おやゆび小僧」「ロバの皮」など。


オストゥーニは、イタリアのプーリア州に位置する「白い町」として知られています。白く塗られた家々が密集する旧市街は、まるで迷路のようです。
 
オストゥーニの歴史は古代ギリシャ時代に遡り、その後ローマ帝国やノルマン人の支配を受けました。
 
オストゥーニの家々は白石灰で塗られており、これはペストの流行を防ぐための伝統です。
 
日本の画家、笹倉鉄平の代表作である、『オストゥーニ~Ostuni~』も必見です。
 


ナポリは、イタリア南部のカンパニア州に位置する活気に満ちた港町です。
美しいナポリ湾とヴェスヴィオ火山を望む風景が特徴で、古代から続く歴史と文化が息づいています。
 
 
ナポリはギリシャ人によって建設され、その後ローマ帝国の重要な都市として発展しました。
 
ゲーテの有名な言葉「ナポリを見てから死ね」とは、ナポリの風光を見ずに死んでしまっては生きていた甲斐がないという意味で、ナポリ湾一帯の美しさを強調したイタリアのことわざです。
 
世界三大夜景として知られるポジリポの丘からの眺望も見ずして死ぬわけにはいかないと言っても過言ではないでしょう。
 
また、ナポリはピザの発祥地であり、ナポリピッツァはユネスコの無形文化遺産に登録されています。


ベルンは、スイスの首都で、アーレ川に囲まれた美しい中世の街です。
時計塔や石造りのアーケードが立ち並ぶ旧市街はユネスコの世界遺産に登録されています。
 
ベルンの歴史は12世紀に遡り、その後スイス連邦の首都として発展しました。
 
ベルンの地名は、1191年にツェーリンゲン公国のベルヒトルト5世が要塞を建設し、狩で熊を射止めたことに由来します。ベルンの名はドイツ語で熊を意味する「Bär」から取られており、市の紋章には熊の図案が用いられています。
 
科学者アルベルト・アインシュタインがこの地で相対性理論を発表したことでも知られています。彼の家はベルン旧市街のクラムシュトラーセ49番にあり、ベルン時計塔からわずか200mの場所にあります。1903年から1905年にかけて、アインシュタインと彼の家族がこの小さなアパートメントを借りていました。


ローテンブルク・オプ・デア・タウバーは、ドイツのバイエルン州にある中世の美しい街です。
 
通常ローテンブルクと言いますが、正式にはローテンブルク・オプ・デア・タウバーです。
オプ・デア・タウパーとは”タウパー川を望む丘の上の”という意味です。
 
中世の宝石箱とも称されるローテンブルクのクリスマスマーケットは、ドイツで最もロマンティックと言われます。この街は一年中クリスマスの雰囲気を大切にしており、町中がその魅力に包まれています。


パレルモは、イタリアのシチリア島に位置する歴史と文化が豊かな港町です。バロック様式の宮殿や教会、美しい市場が魅力です。
 
パレルモは古代フェニキア人によって建設され、ギリシャ、ローマ、アラブ、ノルマンの影響を受けた多彩な歴史を持ちます。
 
また、パレルモはマフィアの歴史とも深く結びついています。
シチリア・マフィアの起源は19世紀に遡り、パレルモはその中心地として知られています。
 
映画「ゴッドファーザー」のロケ地の一つでもあり、映画ファンにとっても訪れる価値があります。
 
詩人ルイジ・ピランデッロもこの地で生まれ、その作品でノーベル文学賞を受賞しました。


ザルツブルクは、オーストリアの美しいアルプス山脈のふもとに位置する歴史的な街です。バロック様式の建物が立ち並ぶ旧市街は、ユネスコの世界遺産に登録されています。
 
ザルツブルクは、中世から塩の取引で繁栄し、「塩の城」として知られています。
 
ザルツブルクは音楽の天才モーツァルトの生誕地であり、彼の生家は現在博物館として公開されています。
 
また、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台としても有名です。


プラハは、チェコの首都で「百塔の街」として知られる美しい都市です。ゴシック様式のカレル橋やプラハ城、アストロノミカルクロックなどが観光名所です。
 
プラハの歴史は9世紀に遡り、中世にはボヘミア王国の首都として栄えました。意外なことに、プラハには「ゴーレム」という伝説の泥人形があり、ユダヤ人地区の守護者とされています。
 
プラハは映画「ミッション:インポッシブル」や「007 カジノ・ロワイヤル」、「イリュージョン・アーティスト」など、数多くの映画の舞台にもなっています。
 
映画の美しいロケーションとして、多くの監督がこの地を選んでいます。歴史的な建造物と中世の雰囲気が映画の背景にぴったりです。
 
プラハはまた、音楽の街としても有名で、クラシック音楽のコンサートやオペラが頻繁に開催されています。プラハの街を歩くだけで、その歴史と文化の豊かさを感じることができます。


バルセロナは、スペインのカタルーニャ地方に位置する芸術と建築の街です。
 
アントニ・ガウディの作品であるサグラダ・ファミリアやカサ・ミラ、グエル公園が観光名所として知られています。
 
バルセロナはローマ時代に建設され、その後中世には重要な商業都市として発展しました。バルセロナのラ・ランブラ通りは毎年約750万人の観光客が訪れる人気スポットです。画家パブロ・ピカソもこの地で多くの作品を制作しました。
 
バルセロナは映画のロケ地としても有名で、「ビッキー・クリスティーナ・バルセロナ」や「香水 ある人殺しの物語」、「エブリバディ・ノウズ」など、数々の映画がこの美しい都市を舞台にしています。これらの映画は、バルセロナの独特な魅力と文化を世界に広めました。
 
バルセロナはまた、独自のカタルーニャ文化と伝統を誇ります。カタルーニャ語が話され、カタルーニャ音楽やダンス、フェスティバルが豊富にあります。特に、カタルーニャの伝統的な祭りである「ラ・メルセ祭」は、毎年9月に開催され、多くの地元民と観光客が参加します。
 
スポーツもバルセロナの重要な一面であり、FCバルセロナは世界的に有名なサッカークラブです。カンプ・ノウスタジアムでの試合は、熱狂的なファンによって盛り上がり、街全体がサッカーに対する情熱で溢れます。バルセロナの魅力はその多様性にあり、訪れる人々に常に新しい発見と驚きを提供します。


セゴビアは、スペインのカスティーリャ・イ・レオン州に位置する歴史と美が融合した街です。ローマ時代の水道橋やアルカサル城、ゴシック様式の大聖堂が見どころです。
 
セゴビアの歴史はローマ帝国の植民都市として発展し、その後カスティーリャ王国の重要な拠点となりました。驚くべきことに、セゴビアの水道橋は今も水を通しており、古代ローマの技術の高さが伺えます。
 
セゴビアのアルカサル城は、ディズニーのシンデレラ城のモデルの一つと言われています。この美しい城は、12世紀に建てられ、何世紀にもわたってスペインの王族に使用されました。
 
城の内部には、豪華な装飾や歴史的な展示物があり、訪れる人々を魅了します。また、アルカサル城からの眺めは絶景で、セゴビアの街並みとその周囲の自然を一望できます。
 
セゴビアはまた、美食の街としても知られています。特に「コチニージョ・アサード」(子豚の丸焼き)は、この地域の名物料理で、多くのレストランで提供されています。訪れた際には、ぜひ一度味わってみてください。
 
文学の面では、詩人アントニオ・マチャードがセゴビアに滞在し、多くの詩を綴りました。彼の作品には、この街の風景や雰囲気が色濃く反映されています。
 
セゴビアの魅力は、その歴史的な背景と美しい景観、そして豊かな文化と美食にあります。訪れる人々にとって、セゴビアは忘れられない体験を提供してくれることでしょう。


サンマリノ(San Marino)/サンマリノ
サンマリノは、イタリア半島に位置する小さな独立国で、世界で最も古い共和国の一つです。サンマリノの歴史は301年に遡り、聖マリヌスによって建国されました。面積わずか61平方キロメートルのこの国は、美しい山岳地帯に囲まれ、その景観は訪れる人々を魅了します。
 
サンマリノの最も象徴的な景観は、ティターノ山の三つの塔です。グアイタ塔、チェスタ塔、モンターレ塔は、それぞれ異なる時代に建てられ、中世の要塞としての役割を果たしていました。これらの塔からは、サンマリノ市内と周囲の美しい景色を一望することができ、観光客にとって必見のスポットです。
 
歴史的な背景として、サンマリノは中世から独立を維持し続けてきました。その独立は、地理的な要因と外交的な巧みさにより守られてきました。特にナポレオン時代やイタリア統一運動の際にも、サンマリノは巧妙な外交を駆使して独立を維持しました。
 
サンマリノはまた、独自の文化と伝統を持っています。サンマリノの文化はイタリアの影響を強く受けていますが、独自の祝祭や行事も多くあります。特に、毎年9月3日に行われる「聖マリヌス祭」は、サンマリノの建国を祝う重要なイベントです。この祭りでは、パレードや花火、伝統的なダンスや音楽が披露され、多くの観光客が訪れます。
 
さらに、サンマリノは美食の地としても知られています。地元の料理には、手打ちパスタや肉料理、地元産のワインが含まれます。特に有名なのは「タリアテッレ・アッラ・サンマリネーゼ」で、地元のハーブやチーズを使った風味豊かなパスタ料理です。
 
サンマリノの特産品としては、手工芸品や切手が挙げられます。特に切手はコレクターに人気で、多くの観光客が訪れる理由の一つとなっています。また、サンマリノの旧市街はユネスコの世界遺産に登録されており、その美しい中世の街並みと歴史的な建物が評価されています。
サンマリノは、その美しい景観と豊かな歴史、文化を持つ魅力的な国です。訪れる人々は、古代から続く独立国の歴史と文化に触れながら、壮大な自然の景色を楽しむことができます。


ヴェネツィアは、イタリアの北東部に位置する世界的に有名な水の都です。美しい運河と歴史的な建物が魅力で、毎年多くの観光客が訪れます。ヴェネツィアは118の島々から成り立ち、約400の橋がこれらの島々を結んでいます。主要な交通手段はゴンドラやヴァポレット(水上バス)で、車の乗り入れはできません。
 
歴史的な背景として、ヴェネツィアは5世紀に設立され、中世には強力な海洋共和国として栄えました。特に、東西貿易の中心地として発展し、その富と影響力は広範囲に及びました。ヴェネツィア共和国はナポレオンによって1797年に終焉を迎えましたが、その後も文化と芸術の中心地として重要な役割を果たしてきました。
 
ヴェネツィアの見どころは数多くあります。サン・マルコ広場には壮麗なサン・マルコ大聖堂があり、その美しいモザイクと豪華な内装は一見の価値があります。広場に隣接するドゥカーレ宮殿も必見で、ヴェネツィア共和国の政治の中心として機能していた歴史的な建物です。リアルト橋からの景色も見逃せません。
 
ヴェネツィアはまた、美食の街としても知られています。地元の名物料理には、シーフードを使ったリゾットやパスタがあります。特に、サルディ・イン・ソアール(酢漬けイワシ)やバッカラ・マンテカート(干しダラのペースト)が有名です。また、ティラミスの発祥地としても知られており、甘いもの好きにはたまりません。
 
ヴェネツィアはその独特な文化と歴史、そして美しい景観で訪れる人々を魅了します。水の都ならではの風情と中世の雰囲気が漂うこの街は、訪れる人にとって忘れられない体験を提供します。


アントウェルペン(Antwerpen)/ベルギー
アントウェルペンは、ベルギー北部に位置するフランデレン地方の主要な都市で、ヨーロッパ有数の港湾都市として知られています。アントウェルペンの歴史は非常に古く、ローマ時代にまで遡ります。中世には商業と金融の中心地として繁栄し、ルネサンス期には芸術と文化の拠点となりました。
 
アントウェルペンの象徴的な建物の一つが、壮麗なノートルダム大聖堂です。この大聖堂は1352年に建設が始まり、数世紀にわたって完成されました。内部には、バロックの巨匠ピーテル・パウル・ルーベンスの傑作「キリストの降架」などが展示されています。大聖堂の近くには、市庁舎やギルドハウスが並ぶ美しいグローテ・マルクト広場があります。
 
アントウェルペンはまた、ダイヤモンド取引の中心地としても有名です。世界のダイヤモンド取引の大半がこの都市で行われており、「ダイヤモンドの都」とも称されています。ダイヤモンド街では、数多くのダイヤモンドショップや加工業者が軒を連ねています。
 
文化面では、アントウェルペンはファッションの中心地としても知られています。アントウェルペン王立芸術学院は、世界的に有名なファッションデザイナーを多く輩出しており、「アントウェルペン・シックス」と呼ばれるデザイナーたちは国際的に高い評価を受けています。
 
美食の面でもアントウェルペンは訪れる価値があります。ベルギーならではのフリッツ(フライドポテト)や、地元のビールが楽しめるパブが多数あります。また、アントウェルペンはチョコレートの名産地でもあり、多くの専門店が高品質のベルギーチョコレートを提供しています。
 
アントウェルペンはその豊かな歴史と文化、美しい建築物で訪れる人々を魅了します。港町としての活気と洗練された都市の雰囲気が融合するこの街は、訪問者に多彩な体験を提供します。


リクヴィール(Riquewihr)/フランス
リクヴィールは、フランスのアルザス地方に位置する美しい中世の村で、ワインの名産地として知られています。狭い石畳の通りとカラフルな木組みの家々が特徴で、まるで絵本の世界に迷い込んだかのような風景が広がります。
 
リクヴィールは「アルザスの真珠」とも称され、その保存状態の良さからフランスの最も美しい村の一つに選ばれています。
 
リクヴィールの歴史は古く、8世紀にはすでにワイン造りが行われていました。中世には要塞化され、その後もワイン貿易で繁栄しました。村を囲む城壁や塔が当時の面影を残しています。
 
観光名所としては、16世紀に建てられたディルクス家の館や、ヴィエイユ・トゥール(古い塔)があります。また、リクヴィールはワインの生産地としても有名で、特にリースリングやゲヴュルツトラミネールといったアルザスワインが人気です。ワイナリーを訪れて試飲を楽しむこともできます。


シャンボール城は、フランスのロワール渓谷に位置する壮麗なルネサンス様式の城です。1519年にフランソワ1世によって建設が開始され、完成までに約30年を要しました。その美しい対称性と豪華な装飾が特徴で、ルネサンス建築の傑作とされています。
 
シャンボール城の設計には、レオナルド・ダ・ヴィンチが関与したとされています。特に、有名な二重螺旋階段はダ・ヴィンチのアイデアによるものと言われています。城の内部は豪華で、フランソワ1世やルイ14世の居室が見どころです。
 
シャンボール城は、狩猟のための城として建設され、その周囲には広大な森林が広がっています。現在、この森林は自然保護区となっており、豊かな動植物が生息しています。観光客は、城の見学だけでなく、周囲の自然散策も楽しむことができます。


タージ・マハルは、インドのアグラに位置する白大理石の壮麗な霊廟で、世界遺産にも登録されています。ムガル帝国の皇帝シャー・ジャハーンが、愛する妻ムムターズ・マハルのために1632年から1653年にかけて建設しました。その美しい対称性と精巧な彫刻、壮麗な庭園が特徴です。
 
タージ・マハルの建築様式は、イスラム建築とインド、ペルシャの要素を融合させたもので、その美しさは訪れる人々を圧倒します。中央の大ドームの周囲には4本のミナレットが立ち、その姿は優雅で壮大です。
 
タージ・マハルは、愛と献身の象徴として広く知られており、その歴史的背景や建築美から世界中の観光客に愛されています。訪れる際には、日の出や日の入りの時間帯に訪れると、大理石が美しく輝く姿を楽しむことができます。


ルクセンブルクは、西ヨーロッパに位置する小さな内陸国で、その首都もルクセンブルク市です。ルクセンブルク市は、歴史的な要塞都市として知られ、美しい渓谷と古代の城壁に囲まれています。その歴史的価値からユネスコの世界遺産にも登録されています。
 
ルクセンブルクの歴史は、963年にアーデルハルド伯爵によって建設されたルクセンブルク城に始まります。この城は戦略的な要地にあり、中世から近代にかけて多くの戦争の舞台となりました。そのため、「北のジブラルタル」とも呼ばれています。
 
ルクセンブルク市の見どころには、美しい旧市街やグルント地区、ノートルダム大聖堂、ルクセンブルク大公宮殿などがあります。特に、ペトリュス渓谷からの眺めは絶景で、古い城壁と緑豊かな景観が楽しめます。
 
ルクセンブルクはまた、金融の中心地としても知られています。多くの国際機関や銀行が集まり、経済的にも重要な役割を果たしています。また、多文化が共存する国であり、公用語はルクセンブルク語、フランス語、ドイツ語の3つです。
 
ルクセンブルクの美食も見逃せません。地元の特産品には、クネル(肉の詰め物料理)や、ユダヤ教の伝統料理であるゲフィルテ・フィッシュがあります。また、ルクセンブルクのワインやビールも高い評価を受けています。
 
ルクセンブルクは、その豊かな歴史と美しい景観、そして多文化の融合が魅力の国です。訪れる人々にとって、古代から続く要塞都市の歴史と現代の金融都市の活気を同時に体験できる、特別な場所です。


バチカン(Vaticanae)/バチカン市国

バチカン市国は、イタリアのローマに位置する独立国家で、カトリック教会の中心地です。面積はわずか0.44平方キロメートルで、世界最小の国です。この国の中心にあるサン・ピエトロ大聖堂とシスティーナ礼拝堂は、カトリック教会にとって非常に重要な場所です。

カトリック教会の中心地

バチカンがカトリック教会の中心地となった理由は、ここが聖ペトロ(サン・ピエトロ)の墓所であると信じられているからです。聖ペトロは、キリストの弟子であり、初代ローマ教皇とされています。4世紀にコンスタンティヌス大帝がサン・ピエトロの墓の上に大聖堂を建て、それが現在のサン・ピエトロ大聖堂の基となりました。この歴史的背景から、バチカンはカトリック教会の精神的中心地となりました。

世界最小の国

バチカン市国が世界最小の国である理由は、1929年に締結されたラテラン条約に基づいています。この条約は、イタリア政府とカトリック教会の間で結ばれ、バチカン市国の独立と主権が認められました。これにより、バチカンは教皇と教会の中心機能を維持するための独立国家となり、最小限の領土を持つ国として成立しました。

サン・ピエトロ大聖堂

サン・ピエトロ大聖堂は、その壮大な建築と歴史的な重要性から、世界で非常に有名です。ミケランジェロ、ラファエロ、ベルニーニなど、ルネサンス期の巨匠たちが設計や装飾に関わったことで、その芸術的価値も高いです。大聖堂の中央にあるミケランジェロの「ピエタ像」や、ベルニーニの「聖ペトロのバルダッキーノ」は訪れる人々を魅了します。

グルメ

バチカン市国自体は非常に小さく、特有の料理は少ないですが、ローマ料理の影響を強く受けています。周辺のローマでは、「カルボナーラ」や「アマトリチャーナ」といったパスタ料理が有名です。また、バチカン市国にはバチカン内の食堂やカフェもあり、観光客に人気です。

国としての独特な法律

バチカン市国は独自の法律と統治機構を持っています。教皇が国家元首であり、立法、行政、司法の権限を持っています。バチカンはカトリック教会の教義に基づいた法律が施行されており、例えば、離婚は認められていません。また、バチカン市国は自前の郵便システムとコインも発行しており、これらは収集家に人気です。

伝説と歴史的背景

バチカンには多くの伝説と歴史的背景があります。例えば、サン・ピエトロ大聖堂の地下には、聖ペトロの墓があるとされ、その周囲には他の多くの教皇の墓もあります。また、バチカン庭園には、教皇が瞑想と祈りのために使用する美しい庭園が広がっています。
バチカン市国は、その小さな面積ながら、カトリック教会の精神的中心としての巨大な影響力を持ち続けています。訪れる人々にとって、その歴史、文化、そして信仰の深さを感じる特別な場所です。


ポンペイは、イタリア南部のナポリ近郊に位置する古代ローマ都市で、79年のヴェスヴィオ火山の大噴火により埋もれたことで有名です。この災害により、街は火山灰に覆われ、その結果、当時の都市生活が非常によく保存されています。発掘された遺跡には、劇場、浴場、フォーラム、住宅などが含まれ、ローマ時代の建築や芸術を生き生きと伝えています。ポンペイは、ユネスコの世界遺産に登録されており、訪れる人々に古代ローマの生活を垣間見せてくれます。


ブルージュ(Brugge)/ベルギー
ブルージュは、ベルギーのフランデレン地方に位置する美しい中世の都市です。「北のヴェネツィア」とも呼ばれ、運河が街中を巡り、その風景は絵画のようです。ブルージュの歴史は古く、12世紀から15世紀にかけて貿易の中心地として栄えました。市内には、中世のままの建物が多く残っており、特にベルフォート(鐘楼)や市庁舎は必見です。また、ブルージュはベルギーチョコレートやレースでも有名で、観光客にとって魅力的な場所となっています。


ローマは、イタリアの首都であり、古代ローマ帝国の中心地として知られています。「永遠の都」とも呼ばれ、歴史的な遺産が豊富です。コロッセオやフォロ・ロマーノ、パンテオンなどの古代遺跡が点在し、ローマの壮大な過去を物語っています。ローマはまた、バチカン市国の所在地でもあり、カトリック教会の中心地です。トレビの泉やスペイン階段など、美しい景観と共に、ローマは芸術と文化の宝庫です。さらに、ピザやパスタといったイタリア料理も楽しむことができます。


ミラノ(Milano)/イタリア
ミラノは、イタリアのロンバルディア州に位置する経済とファッションの中心地です。ミラノ大聖堂(ドゥオーモ)は、ゴシック様式の壮麗な建築物で、屋上からの眺めは素晴らしいです。また、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」が展示されているサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会も必見です。ミラノはファッションの都としても知られ、多くのブランドショップやデザイナーブティックが立ち並んでいます。オペラハウスのスカラ座も有名で、世界中の音楽愛好家が訪れます。


ディナン(Dinant)/ベルギー
ディナンは、ベルギー南部のワロン地方に位置する美しい小都市で、マース川沿いに広がっています。ディナンの象徴は、岩山の上に立つディナン城塞と、その下にあるノートルダム大聖堂です。ディナンはまた、サックスフォンの発明者であるアドルフ・サックスの生誕地としても知られています。市内には彼の記念碑や博物館があります。毎年夏には、ジャズフェスティバルが開催され、音楽と文化を楽しむことができます。


ジクマリンゲンは、ドイツのバーデン=ヴュルテンベルク州に位置する歴史的な町です。この町の中心には、壮麗なジクマリンゲン城があります。ホーエンツォレルン家の居城として知られ、その美しい建築と歴史的な価値から多くの観光客が訪れます。ジクマリンゲン城は、内部に豪華な部屋や武器庫を持ち、見応えがあります。また、町はドナウ川沿いにあり、美しい自然景観も楽しめます。ハイキングやサイクリングも人気です


チューリッヒ(Zürich)/スイス
チューリッヒは、スイスの経済と文化の中心地であり、チューリッヒ湖のほとりに広がる美しい都市です。旧市街には中世の建物が立ち並び、グロスミュンスターやフラウミュンスターといった歴史的な教会が見どころです。チューリッヒはまた、金融の中心地としても知られ、多くの銀行や金融機関が集まっています。芸術と文化の面でも豊かで、チューリッヒ美術館やスイス国立博物館が訪れる価値があります。また、チューリッヒは美食の街としても知られ、チーズフォンデュやチョコレートが有名です。


パリ(Paris)/フランス
パリは、フランスの首都であり、世界的に有名な観光都市です。エッフェル塔、ルーヴル美術館、ノートルダム大聖堂、シャンゼリゼ通りなど、数多くの名所が集まっています。パリはまた、ファッションの都として知られ、多くのデザイナーブティックや高級ブランドショップが立ち並びます。セーヌ川沿いの風景は美しく、観光船でのクルーズも人気です。美食の街としても有名で、フランス料理のレストランやカフェが軒を連ねています。また、パリは芸術と文化の中心地であり、多くの美術館や劇場が訪れる人々を魅了します。

  

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